なぜ追善供養というのか


 仏教は三世因果の道理を説くものである。現在を中心に過去、未来に人間の生命もつながっいると考えられる。
現世において人間は、身・口・意の三つによってさまざまな行いをするわけである。
 それによつて生じた善悪の原因は、その人間の因縁となりこの三世にわたって作用するのである。現世において善きこと、悪しきことを行った結果は、その人間が生きている問に現れることもあるし、遠いい未来に現れることもあるのである。もし現世にそれが現れないときは、死後その結果が現れ、積善の人はその善き果徳を受け、悪業の強き者は、地獄、餓鬼、畜生の三悪道に落ちて苦しむと説いている。死後に善き果報を受けている霊に対して、ますます善き道に歩むように、また悪道に落ちて苦しみもだえている霊を、その苦悩から逃れて安楽の道ヘ差し向けるように行うのが追善供養である。
 追善というのは「追復修善」を略したものである。僧侶を招いて仏壇を飾り、お経を読んでいただくことは霊に対するもっとも良い供養である。
 供養とは「供給資養」という意味である。ご本尊に、または霊に対して供物を供え、読経をするのも供養であり、親族知己や僧侶に食事を出すのも、葬儀の時に貧者に施すのも供養である。
 このように、供養する心が起きるということは、良い原因を発するということであり、それによつて幽界に去つた霊は歓喜すると共にカづけられ、良いめぐりが生ずるのである。それを廻向という。